実体験から思うこと。子どもにお金をかけることは子どもにとって幸せとは限らない。

読書感想

子どもの教育費が気になり、『子どもにお金をかけるのは、やめなさい』を読みました。

色々思ったことメモ。

家族ができて、幸せも増えた分、また整理していきたいことも増えますね。

 

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私は「子どもの教育にお金をかけなきゃ!」とは思っていない。

本人が「行きたい! やりたい!」と望まない限り、塾や習い事は不要じゃないかと個人的には思っています。

「行かせなきゃ!」という焦りもない。

それはまだ、子どもが小さくて周りの人達もそんなに習い事などに行かせていないからかもしれないですが。

(周りに影響されやすい私、ママ友が続々と行かせ始めたら考えが変わるかも?笑)

 

それよりも、自分の幼少期〜高校の体験で、不要なんじゃないかと。

自分自身が塾に習い事に、窮屈だったから。

 

お金をかけないと子どもの将来が不安?

親は、教育にお金をかけてくれました。

スイミング、習字、体操、ピアノ、スポーツクラブ、英語、学習塾etc.

 

行きたくてもお金がなくて行けなかった、という人からすると反感を買うかもしれません。

けれど、正直に言って週5+たまに土日もの習い事通いは窮屈でしかありませんでした。

親は、「あんたが自分で行きたいって言った!」と言い張りますが、私の記憶ではそんなことありません。

気がついたらやらされていた。そんな記憶。

それか、体験教室みたいなものに連れていかれ、「やりたい? やりたいよね?」という圧を感じて、やりたいと答える、みたいな。

 

楽しく通っていたものもあるけれど、親に「なかなか上達しない」と叱られながらで嫌々通っていたものも多々あります。

大人になって振り返ると、

あれだけ色々通ったけれど、どれも身にならなかったな、と。

 

「周りもやっているから」という理由で押し進められた中学受験。

それに伴う毎日の塾通い。

学校が終わった後、塾へ行って勉強して家へ帰って勉強して寝るだけの日々。

周りの子の成績と比べられては怒鳴られなじられ。

 

お金は出してくれたし、お弁当も毎日作ってくれた。

けれど、自分が望んだわけでもないことで埋め尽くされる日々が、正直キツかった。

当時はそれ(親の望み通りに生きること)があたり前だと思っていたけれど、本当に誰のための人生なんだろうって。

もっと友達と遊びたかった。もっと家で過ごしたかった。

暖かい晩御飯を、もっと家で食べたかった。

 

大学受験も、親の希望通りの進学先を目指す日々。

一度、ずっと心の中に秘めていた自分のやりたいこと・進みたい道を親に話しましたが、怒鳴り散らされ猛烈に却下。

そしてまた、学校・塾・寝るだけの苦しい日々の中、「なんのために私はこんなに頑張っているんだろう」ということが頭をよぎりながらも、抗えないあの頃でした。

今思えば、18歳になるんだから家を出て自分で働きながら希望の学校に通えばよかったんですよね。

「進学費用を出してもらうためには、親の希望通りの学校にしないとな」と折れたあたりは甘えだったかな〜と。

 

 

そうして、親の希望通りの進学先に無事進みました。

けれど、私の将来(=現在)が安泰だったかというと、決してそうではない。

これまた親の希望通りの就職先へと進みましたが、ずっと何かが苦しくて、ある日退職。

しばらく無職をしたりフリーターになったりとなかなか綱渡りの生活をしていました。

 

そりゃ、もちろん私自身がポンコツであった、という原因もあるかもしれません。

けれど、習い事に塾にとお金をかけまくって、いい大学いい企業に入ったところで将来が約束されるわけではないんだなぁと。

 

それよりも、私に残った悪影響。

習い事だけが直接の原因というわけではないと思うけれど、

ずっと「なんのために自分は生きているんだろう」というドス黒い塊が大きく心の中に沈み込んでいた。

大人になってだいぶ経ってから、「自分の人生、自分の好きに生きていいんだ!」と気づきましたが、それでもしばらくは、そのドス黒い塊はずっと重りのように心の中に潜み続けていました。

何をするときにも「親はどう思うか周りはどう思うかちゃんとできるか」が先行してしまい、ずっと窮屈。

 

散々、「お前は失敗した」と言われ、自分でもあんなに色々やったのにという自責と無念の想いが積もり。

ずっと自分はダメな人間だと思って生きてきました。

40を超えた今でも、「あんなにお金をかけたのに!」と親から言われ。

40を超えてようやく「いや、頼んでないって……」と思えるようになったけれど。

 

 

だから、自分は子どもには教育費はかけない。

というより、子どもが本当にやりたいと言ったことにしかかけないつもり。

お金をかけたって将来が安泰になるとは限らないし、本人が望んでいなかったらきっと苦しいだけ。

そう思っている。

 

塾も別に行かせない、勉強は学校でやるか家で見てあげればよくないか? となる。

(小学校までは自信ある。……中学もまだいける? 高校は無理になるかも?笑)

 

けれど、たとえば、医大や美大に行きたい! と言い始めたら、それは行かせてやりたい、お金かけてやりたい、ってやっぱり思っちゃうよね。

そのお金をどうやって準備するか。

すべては無理でも、一部でも。

あるいは、本にあった通り「ないものはない」と言い切るか。

 

「滅私奉公」ではなくて「滅私奉子」だとする話

本では、子どもに個室を用意するために無理な住宅ローンを組んだり塾通いのために借金までしたりする人たちのエピソードが紹介されていました。

そんな、親中心ではなくて子ども中心でお金をかけてしまう人たちのことを「滅私奉公」ならぬ「滅私奉子」だとする表現。

うまいなぁと。

 

私は、今のところエピソードにあったようなお金のかけ方はしないな、と思う。

けれど、「時間」や「手間のかけ具合」は、「滅私奉子」やっちゃってるな〜と思いました。

 

自分の予定より子どもの予定を優先させなきゃ、と思ったり

子どもが起きている間中は全て子どものために時間をとらなきゃ、自分の時間は子どもが寝ている間だけだ、と思ったり。

 

子どもが側にいるとのんびりリラックスもできない。

常に見ていてあげなきゃ相手してあげなきゃ! と。

まだ子どもが小さいからそんなものかもしれない。

けれど、確かに単なる「家族の一員」が増えただけなのに、他の家族が犠牲になったり窮屈な思いをしたり安寧の我が家でリラックスして過ごせないなんて、おかしいよなぁと。

 

家を苦労して手に入れるのは親なのに、親の個室はなく、子ども部屋はしっかりあるという家庭も多いものです。

という言葉が響く。

 

原則として、子どもは親の都合に合わせてもらい、そのなかで、なるべく居心地良いように生活してもらえばいいのではないかと思います。

<略>

親が堅実な生活を送る中で、子どももそれに従ってもらうのは自然なこと。

そうかそうか、「親の都合」優先でも、いいのかな〜なんて。

 

今のところ、お金に困ってはいないけれど溜まっているフラストレーション

そんなわけで、本にある通り「教育費にお金かけすぎたり心配しすぎたりしている人が多いので気をつけましょう」といった内容には、大丈夫かな、と思う。

 

けれど、それとは別で、読みながら募る不安と不満。

それは、家庭のお金の流れがまったくもって不透明なこと。

家庭のお金は夫が全て管理。

住居費も食費も育児費用もなんたら費も。

 

何にいくら使っているのかわからない。

夫の収入が毎月どれくらいあるのかわからない。

どれだけ貯まっているのかもわからない。

 

夫は稼いだお金はすべて夫の自由で使っている。

自分が稼いだお金で、生活費を支払った後に自由に使っているのだから、そりゃ自由に使っても、って思うけれど。

 

思うんだけれど、お金の使い方がちょっと荒くて、心配になる。

コンビニで値段を見ずに商品を買ったり、趣味の用具がどんどん増えたり、1回の外食が割と高額なのに頻回だったり。

そういった、細かいことではあるんだけれども。

日々の細かいお金の使い方が、両親共働きの自分が生きてきた実家のお金の使い方より大盤振る舞いで、大丈夫かなってなる。

 

本当に、貯蓄できている……? と。

 

物価はあがったのに給料が全然あがらないと愚痴ったり、

増税などの制度の改革がある度に「こんなんじゃやっていけない」としょっちゅう文句を言っている。

 

それなのに、お金の使いっぷりに変化は全然見られない。

あれ? 大丈夫と思って任せていたけれど、私が思う以上にカツカツなの? と。

 

記憶の中の両親より、だいぶ生活費や趣味費をかけている。

両親はそうやって削って節約したお金を子どもの習い事費や塾通いにあてていたのかもだけれど……。

 

これで、有り余るほど収入があって毎年数百万単位で浪費しても、余裕で私立の大学にも入れられるくらいのお金を用意できるなら、全然問題がない。

けれど、それができる状態なのかカツカツ状態なのか、それすらわかっていないことがフラストレーションなのである。

 

本の中でもあった、子どもに家計を理解してもらい金銭感覚を身につけてもらうためにもとオススメされていたマネー会議。

両親の収入、生活費などで出ていくお金、それらを全て明るみにする。

やりたいこと・欲しいものは各自でプレゼンし、話し合って決める。

ぜひやりたい、と思ったけれど、我が家ではやれないんだろうな、と。

 

結婚した当初から、幾度となくお金のやりくりを明確化したいとお願いした。

けれど、その度にしぶられケンカ。

もう拉致があかない、まぁいざとなったら離婚か、なんて思って諦めていたけれど、

子どもが生まれてからはそうとも言えなくなってきて、また募る不安と不満。

 

 

貯めどきである今を逃して、十数年後になって初めて「全然溜まっていませんでした! 大学は諦めてね!」となるのが恐すぎる。

もともと本当にお金がなくて、とか、事故や病気でどうしても必要な出費があって大学は諦めてね、ならしょうがない。

けれど、無計画にお金を使って、本当に必要と判断したものじゃないものに使って(それはつまり贅沢や浪費)、「全然溜まっていませんでした! 大学は諦めてね!」は違う気がする。

 

まーこの辺りも、家計をまかされて日々のやりくりが大変! っていう方からすると、贅沢な悩みなのかもしれないけれど。

 

そして、こうして「大学に通わせられないかもしれない」と強烈に不安になっているのも、私の将来を思って習い事・塾通いをさせまくってくれた親や、本のエピソードに出てきた借金までして塾通いをさせていた人たちと、なんら変わりないのかもしれない。

 

まとめ

まー子どもには色々想いをかけちゃいますよね。

 

けれど先述した通り、過去にお金をかけてもらった経験からすると、「あれだけお金をかけてもらったのにこんななっちゃって申し訳ない」という想いでいっぱいです。

あるいは、「どうせお金や私自身の時間と努力を注ぎ込むなら、私自身が望んでやりたかったことに注ぎ込みたかったなぁ……」と。

 

親からかけられた「あんなにお金をかけたのに!」という言葉も、「期待してかけたのに!」という想いと「こっちはこれだけ身を削ってお金かけたのに!」という想いとあったのではないかな〜と。

それなら、そんな無理してまでかけなくてよかったのに、もっと両親自分自身のためにかけてほしかったのに、と切に思います。

 

「あんなにお金をかけたのに!」の言葉は、言葉として言わなくても、「期待」という眼差しでずしずしプレッシャーとなって襲いかかるんですよね。

それが窮屈でもあったのかな〜なんて。

 

それなのに、大学費用が貯まっていないかもと思うとツラツラと積もる不安。

人間ってこういうものでしょうか。

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