30代非正規雇用の独身女性が『Die With Zero』を読んで感想というかもんもんと考えたこと

読書感想

こちらの本を読んで思い巡らせたことなどを。

スポンサーリンク

この本の全体的な内容

この本の全体的な主旨としては、「死ぬ瞬間に一番大金持ちになっても仕方ないから、一番価値ある時期に価値ある使い方をしてこう」というものです。

実際に、巨額の資産を残したまま亡くなる人が多い。

例えばその残した額(使わなかった額)を稼ぐために費やした働いていた数年間は、タダ働きをしていたのと同じことだよという話があって、「確かになぁ」なんて。

ある程度の貯蓄は大事だけど、貯めることが目的になるんではなくて、お金をどう使って人生や世の中を豊かにするかっていう話だなーと。

なんのために働くのか?

なんのために稼ぐのか?

自分にはいくらあれば充分なのか?

どんな経験が自分を豊かにするのか?

 

「そんな言うほどまず資産がないし……」と自分で突っ込みながら読んでいましたが、資産のあるなしに関係なく、色々と考えさせられることが多い内容でした。

今の生活が最適解に近いと感じている今日このごろ

大学卒業後は正社員のフルタイム勤務。

数年働いた後、色々あって退職。一時期無職。現在は非正規雇用で勤務。

ブランクを埋めるためとリハビリな感じでしばらく働き、おいおい正社員に——と始めは考えていました。

けれど、今のこのポジション・働き方が自分にあっているなと感じることもあって。

ストレスにまみれて心身共に不調をきたし、病院通いしながら働いていた正社員時代と、

人的資本の蓄積や仕事の面白みは少ないかもしれないけど、ストレスなく健康に日々を過ごせている今。

 

もちろん、収入は半分以下になったし(何十万もかかっていた医療費もなくなったけど)、

非正規だからいつ雇用がなくなるかっていう不安定さもある。

周りからも「この先どうするの?」と聞かれることが多く、やっぱり世間一般から見ても今のこの状態は「完成形」ではないんだよなと。

 

組織の中でうまくやっていくという社会人スキルを身につけられなかったという逃げや甘えでもあるかもしれない。

でも、私はどうしたかったのかなーと考えると、バリバリビジネスマンとして生きるより、のんびり過ごすことの方に重きを置きたかったのかな、なんて。

 

そんなわけで世間一般から見ると、「普通」ではないかもしれないし、あまりよしとされていないとは思うけれど、この生き方もありだよなと。

 

ただ、それは自分1人が生きていくと考えた場合の話。

ここでも書いたけど、結婚や子育てをしようと考えたら、今のままじゃ流石になというのは感じてしまう。

「女性なら年収はそんなに重要じゃない」って言われるけれども、やっぱりどこかで引け目に感じちゃうから婚活とかにも踏み切れない。年収よりも重要であろう美貌や若さもないしなぁって。

さらに、今は親が元気でいてくれるからいいけど、もし病気だったり介護になったりとした時に、「あぁちゃんと正社員の仕事について稼いでおけばよかった」ってなる日がくるのかな。

 

 

まぁそんな感じで、自分1人が生きていくだけならってのんびり生きているけれど、

たまにやってくる思いが、「私は人生の大事な時期を楽しみきれているのか?」っていう問い。

 

経験や思い出にはある程度お金が必要

仕事のある日は1日淡々と仕事をする。人によると思うけれど、私は与えられた仕事をただ黙々とすることが苦ではない。

お休みの日は、朝起きてネットしたり本読んだりたまにこうしてブログ書いたりのほほんと過ごして1日が終わる。

今こんなご時世だからというのもあるけど、ほとんど外出はしない。

もともとインドアでできる楽しみが多い。

人と会うことも好きだけど、人と会った後は楽しみと共に1日外出したことによる疲れがハンパないので、たまにでいいかなってなる。

 

それでいいやーって思う反面、例えばこの1年を振り返った時に私は何をしたかかなって。

たまにふと、「何も成し遂げていない自分」に小さな焦りを感じてしまう。

昔はそれを仕事で求めようとして、なんか色々潰れてしまったので、もう仕事でそれを満たすことは諦めた。

 

では、どうしたものかなって考えた時に、プライベートで「こんなことしたなぁ」という思い出を増やしていけばいいんだろなって。

けれど、その思い出や経験が少ないのかなって。

もともとの社交性の少なさに加えて、今はこの「年収の低さ」を理由に、1人でできる経験、ちょっと遠出してみたいだとか新しい習い事をしてみたいという気持ちを押さえ込んでしまっている。

別に苦しくはない。

けれど、「こんなことやってみたいなー」という思いを、ずっと保留にしている。

「今はお金稼げていないし、自分を満たすようなことに早々お金はかけられない」

そう思っているうちに、10年20年過ぎていったとしたら、私の人生は豊かだったと言えるのか。

金の価値を最大化できる時期が26歳〜35歳という話

ちょうど、この時期を過ぎてしまった頃合いです。

でもいうて30代とかまだまだ若いし! と思っている昨今ですが、どうしたって「気力・体力」は落ちていくんだよと。

例えば、60代付近に親の遺産で大金が入ったとしても、もうそれを使いこなす余力がないと。

そういう話を読むと、あぁ、私は、今一番働いてお金を稼いでバーっと経験に使える時期と若さを、家でのほほんと過ごすだけに費やしてしまっているんだよなと。

 

 

本の中に、定年退職後の人の行動について以下のように分類されていました。

  • ゴーゴーイヤー:定年退職直後。今までできなかったあれこれについて色々やってやるぞと活力が沸いている時期
  • スローゴーイヤー:数年経ってある程度やりたかったことをやり尽くして行動力がスローダウンする時期
  • ノーゴーイヤー:さらに数年経って完全に興味や活力がなくなった時期

 

これを読んだ時、「えぇ、私は今完全にノーゴーイヤーな感じかも」と驚愕したのです。

実は、前職を辞めた時は心身ズタボロになりながらも、「身体が回復したらこんなことするぞ!」という秘めた思いがあったんです。

貯金もそこそこあったし、無職という特権(?)を生かし、今までできなかったこと色々やるぞと。

けれど、数年が経ち。

なんかもういいやってなってしまっている自分がいるんです。

退職前に思い描いていた「やりたかった色々」は、やってみて楽しかったこともあれば失敗だったなと思うこともあり。

そしてまだやっていない「色々」もあるのに、なんかもういいや、と。

 

これが「気力」の衰えなのかなぁと。

そして、それをまだ30代だというのに、定年退職後数十年経った人と同じ気力レベルだというのが、私本当にそんなんでいいのかなぁなんて。

 

これが、もともとの私の素質なのか、30代という年齢的なものなのか、それともズタボロになった経験から「もう懲り懲り」と新しい挑戦をすることへ恐怖を感じているからなのか

それがずっとわからないんだけれども。

 

 

とにもかくにも、今の生活で充分満たされているな〜って感じているのに、

どこかでふと「大切な何かを逃しているのではないのか」という不安は消えないよねという話でした。

 

図書館で借りてきた本を読んで楽しみ、たまに近所の公園へ散歩に行って季節の移り変わりを楽しみ、って、それ完全に老後でもできる楽しみ方! っていう。

かといって、体力が必要であろう活動、たとえば登山とかアメフトとかやりたい! なんて思いはなく。

 

「今しかできない経験」への投資をしているのか。

20代とかの若い時期に、もっと経験に投資しておけば良かった、と今若干後悔しているけれど、

じゃあ今この瞬間にも、今からでも、経験に投資すればいいんではないかと思うんだけれど、特に「絶対これやりたい!」っていうのが思いつかず。

 

例えば、同じ1万円を払ってスキーに行ったとしても、

山を登って滑り降りてを20代ならば20回できる。

けれど、70代になったら15回もできないかもしれない。

同じ1万円を払ても、体験できることの密度は変わる。

「金の価値は年齢とともに低下する」

「健康度合いも年齢とともに低下する」

という話を読んで、「確かに!」と焦るのです。

若いうちは貯金よりも経験に投資しろという話

20代はずーっと貯金しちゃった。

やっぱり将来が不安で。

 

あぁ〜もっと経験にお金使えば良かったと思うと同時に、だから今お金を使えばいいんですよね。

けれど、今は非正規雇用で、この先どうなるかわからないからという理由でやっぱり貯める。

本では「今後給料は上がっていくのだから、若い時のはした金をせっせと貯めるのは非効率、それよりも経験に使え」という旨の言葉が出てきます。

 

けれど、今後給料が上がっていく見込みはほぼなし。

それどころか、急に契約を切られる可能性の方が大きいわけで。

そうなったら、今の少ない収入を、易々と経験に使おうと投資するのは合理的なのかと。

しかも、「ゆうてまだ若いし!」って言い放ってみているけれど、本当に私はまだ若いの?

もう、色々と堅実に守りに入らなくてはいけない時期ではない? 大丈夫?

 

「人生の黄金期」という言葉に責め立てられる。

自分はもう過ぎてしまったのだな~と。

 

じゃあ今からでも!

って思いつつも、なんだか腰が重たい。

 

けれど、これだけもんもんと考えるってことは、

やっぱり今の生活にちょっと変化を起こしたいと、きっと心の奥底で思ってるんだろうな~。

できるかは別として、

もう一回バリバリ働いてみたい。

お金をがっと稼いでみたい。

とか。

 

「苦しくない控えめな最低限の生活」を知られた。

今のこのミニマムな生活は老後にとっておいていいのかもしれない。

それがこの1年の生活で得られたことかなー。

コメント

タイトルとURLをコピーしました