ノートに書いておいたから思い出すことができた許しの記憶

雑記

おもむろに昔のジャーナルノートを読み返していたら、自分でもすっかり忘れていた出来事を綴っていた箇所がありました。

「えぇー。こんなことあったっけ! えぇー! こんなこと思ってたんだ!!」

それによって、長年許せなかった人を許せた話です。

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許せない人がいる

長年私を苦しめている人がいます。

その人とは実はもう何年も会っていません。今後会うこともないでしょう。

けれど、私の心の中にそいつは住み続けて、ふとした時に私に負の感情を植え付けていくのです。

 

何をされたかは具体的に書きませんが、度々、私がそいつにされたこととと同じことをして捕まった人のニュースを見かけます。

そのつど、「私はそれくらいのことをされたんだなぁ」と悲しいような虚しいような気持ちになります。

 

ふとした時に蘇る嫌な記憶

その人とはもう何年も会っていないし、今後会うこともありません。

なんなら、向こうは私にしたことなど気にも留めていないかもしれません。存在すら忘れているかも。

 

なのに、もう10年近く経っているのに、そいつの記憶が蘇るんです。

振るわれた暴力、放たれる侮蔑、汚された尊厳 etc.

 

日常生活でも支障が出る度、「あいつのせいで私は捻じ曲がってしまったんだ」と恨みを抱えていました。

 

ジャーナルに書いてあったとある事実

私はずっとジャーナルを続けています。

単なる日記のような、あるいは感情を綴るノートです。

 

5年程前の時期のジャーナルを読み返していると、2~3行で書かれていたある日の出来事が目に留まりました。

 

曰く、私はその許せない人から直筆の手紙をもらっていたそうです。

そして、その手紙を掃除の時か何かに見つけて、「手紙をもらったことはすっかり忘れていたけど、読み直したら相手も色々大変だったんだなと思えて許せた」みたいなことを書いてありました。

 

 

 

え、手紙なんてもらったっけ!!!

 

というのが正直一番に出てきたこと。

 

もらった時からも忘れ、この日記を綴った時からも忘れ。

 

二度に渡り忘れ去られたこの手紙。

手紙があったはずの事実を知っても、どんな手紙だったか思い出せません。まったくかすりもしない。

なので、どんな内容が書いてあったかもまったく覚えていません。

手紙類をしまってある場所にもないので、おそらくこのジャーナルを書いた時に捨ててしまったのでしょう。

 

本当にまっっっっっっったく思い出せません。

だから、あんなにひどいことをされたのに、どうして過去の自分が「あいつも色々大変だったんだな」と思えて許せたかわかりません。

 

けれど、それで良かったなと。

 

 

もし、今読んだら「ふざけんなやっぱこんなのじゃ許せねーし!!!」となっていたかもしれません。

永遠に、ふつふつと恨みが続いていたかもしれません。

 

でも今ここにあるのは許しの事実。

 

あの時どうしてそんな風に思えたかは忘れてしまいましたが、許したという事実がそこに確かにありました。

 

過去の私が一度は許せた相手を、その事実を忘れ今の私はいつまで引きずっているんだろう?

 

そう思った時、ふっと、また許しの感情を感じることができたのです。

 

手紙を捨てた過去の自分グッジョブすぎ。

 

書き留めよう きっとすべて忘れてしまうから

いやー。

自分が経験して紙に書いてすらいるのに、本当にすっかり忘れていることってあるんですね。

 

ピンッときた感情は、残しておかないと、今日は覚えていても、5年後には忘れてるんですよ。

『マイノートのつくりかた』より

これは、『マイノートのつくりかた』を読んだ時に「おぉ」と思って書き留めていた言葉です。

いやぁ~これホントだわぁ~なんてのを3月の読書記録の記事に書いていました。

 

 

『自分の感情なんて、忘れてしまったらどこを探しても絶対もう見つからないですもんね。』

なんて感想を書いています。

まさかこの約2か月後に、そのことを改めて実体験するとは思いませんでした。

そして書き留めておいたことによって、まさか未来の自分が救われるなんて当時の自分は思いもしませんでした。

 

あぁ。ジャーナルすごい。

 

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色々なノート術が散りばめられており、とってもおすすめの本です。

 

まとめ

今回の話は、色んな事書いておいて良かったね! です。

決して、みんなも負の感情を手放して許そうぜ! って話ではなく。

 

許せたら楽だけど、簡単にできるものじゃないですもんね。

 

私はふとした時に許せて(許したことを思い出せて)

ちょっと楽になったよというお話でした。

 

 

余談 ジャーナルによって未来の自分を騙せないか

そしてふと思いました。

色々ネガティブな想いを発散するために日記を綴りますが、ここでポジティブな結論を書いておけば、未来の自分は「いいことあったんだな」と騙されてくれないかなと。

 

たまに、認知療法的なノートの書き方をしています。

事実→感情の種類と度合い→思考の内容→別の思考・視点→結果、感情の種類と度合い変わったか

このように、事実に対してどのような感情が湧いたか、その感情が湧いた理由はどのような思考があったからか、そして別の思考はないか、その別の思考をしてみた結果感情は変わったか、を書きます。

例えば、

作業せず寝てしまった→責める気持ち80%→また寝ちゃった何もしなかったな→生理前だから仕方ない、ゆっくり休めたから良い→責める気持ち50%

のように。

 

これを、「嫌なことあったけど、全然大丈夫だった! な~んも問題なし!」と嘘でも書いておくと、未来の自分は「こんなことあったんだ。けれど自分はさらりと受け流せたんだな~なんて強い子だ^^」なんて思ってくれないかななんて。

それとも、「いや、この時無理やり言い聞かせたんだよな~」と覚えてしまうでしょうか。

 

どうなんだろう。

余談でした。

 

 

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