映画『パブリック 図書館の奇跡』を見てきました!
図書館好きな人はもちろん、そうでない人にこそ見て欲しい。
公共とは何か? を深く考える映画だった
私も図書館が大好きでよく利用させてもらっています。
話題の本を無料で借りられるというのはもちろん、個人じゃ絶対に所有しない本があるのも醍醐味ですよね。
こんなマニアックな本あるんだ! とか
出版年度が昭和前半の本があったりして、その本の歴史に思いを馳せたりとか。
また、図書館という空間自体も好きで、会社帰りにリラックスがてら立ち寄るのは行きつけのカフェよりも図書館の方が数が多かったです。
海外旅行に行った際もその街の図書館に立ち寄るのが好き。
そんな感じで割と図書館に馴染んでいる私ですが、その図書館の持つ「公共」という特性を、今まであまり深く考えたことがなかったなぁということを知らされる映画でした。
映画の最後で、恐らく原題である”public”という単語が表示されたのがとても感慨深かったです。
公共とはなんなのか。
public(パブリック)とはどうあるべきなのか。
個人の権利 vs 個人の権利
「誰もが知的財産にアクセスできる権利」を公共の図書館は提供していなければなりません。
(すみません、記憶を頼りに書いているのでこの通りの言葉だったかは不明確です)
けれど、もし一人の利用者が他の利用者の権利を侵害していたら?
映画の中でも、体臭がキツいホームレスの人に退館を求めたことが、そのホームレスの「知的財産にアクセスできる権利」を侵害したと問題になりました。
けれど、その退館を求めたのはもちろん、周りの利用者の権利を優先したから。
周りの利用者から、体臭がキツすぎて落ち着いて本を読んでいられないとクレームが入ったからですね。
周りの利用者の権利を優先すると、ホームレスの権利を侵害する。
ホームレスの権利を優先すると、周りの利用者の権利を侵害する。
映画冒頭で、図書館がオープンした直後にホームレス達がトイレを占領して歯磨きや洗面をしているシーンがありました。
正直見ていて「ちょっと嫌だな」と感じてしまいました。
もし自分がよく行く図書館がこういう風になったら、足が遠のくかもしれません。
ゆっくりとトイレをしたい権利 vs 身なりを整えたい権利。
個の権利 vs 個の権利。
あるいは、個の権利 vs 複数の権利。
どちらを優先させるべきかという場面になった時、「公共」はどうするべきなのか?
この映画を見て思い出したのは、銀貨鉄道999の第3話。
タイタンは、個人の自由が絶対の権利とされる星。
好きに生きる自由。
人を殺す自由。
誘拐する自由。
監禁されることなく自由でいる自由。
ここでも、個人の自由と個人の自由がぶつかり合います。
誰かの自由は他人の不自由に繋がる。
本当の自由とは?
全個人の自由と権利が満たされて調和を生む状態ってあるのでしょうか。
アニメの最後、
「しかし、今ここには、自由のなんたるかを考えない人が多すぎる」
というナレーションが深い。
不測の事態の時、公共のあるべき姿とは?
大寒波の夜、このままではホームレスみんな死んでしまう。
そういってホームレスたちが今晩だけ図書館にいさせてくれと頼みます。
人の生死がかかっているんだから泊めてあげればいいじゃないって思っちゃう。
でも、図書館の偉い人達は、「そんなことは許されない、これは立て籠もり事件だ」と警察が出動する程にまで至ってしまう。
確かに、大寒波は今日だけじゃない。明日も明後日も来年も続くかもしれない。
図書館は慈善団体ではないし、そこで働く人達も図書館の持つ「公共」にどこまで従うべきなのか。
(勤務時間が終わってお給料出なくなったとしても、助けを必要とする人がいたら対応を続けるのか)
図書館にいさせるわけにはいかない! と偉い人が言うのに対し、主人公が
「ならあなたの家に泊めさせてください」
と返して、偉い人が何も言い返せなかったシーンが印象的。
人として、助けてあげなくてはいけない。
けど、自分の生活が脅かされるとしたら。
自分の身を削ってまで助けられる人っているのでしょうか。
今日だけ泊めてあげることが出来たとしても、明日も明後日も来年もずっと泊めてあげることが出来る人って果たしてどれくらいいるのでしょうか。
私も、「人の生死がかかっているんだから泊めてあげればいいじゃない」って思ってたくせに、
「じゃぁあなたの家に泊めてください」
と言って、家にぞろぞろホームレスがやってきたら?
普通に嫌だと思うし、「これは国がなんとかするべき問題だ」って誰かにバトンを渡そうとすると思う。
映画の偉い人だって、たくさん働いてそのせいで(だけかはわからないけど)家族関係がぎくしゃくしていて。
そうやって苦しみながらも努力して必死こいて、やーっと築き上げた家と資産なんです。
これは自分が頑張って得たものなんだから自分のもの! って私なら思っちゃう。
よほど豊かでないと人に施しなんてできないと思っていたけれど、ホームレスの人達から見たら、雨風凌げる壁と屋根と今日明日食べられるご飯があるだけですごく豊か。
なのに、私はそれを分け与えられないと思う。
人を救う意思のあるいい人でいたい。
けれど自分の生活が脅かされるのは嫌だ。
なんてさもしい人間なのでしょう。
過去に一度ちょっと踏み外しただけでずっとついて周る恐さ
主人公の人も、かつてはホームレスでした。
さらに、精神障害にもなり「自身あるいは他人を傷つける可能性がある」ということで精神病棟への入院歴もあります。
そこから、色々頑張って図書館の職員として社会復帰を果たしていました。
なのに、ホームレスの立て籠もりだ、この職員が加担しているぞとなった時、警察に過去の経歴を調べられて「ほらね、精神病棟入院歴がある!」ってなってしまったんです。
大寒波だからホームレスを泊めて欲しい。と一緒に訴えているだけ。
なのに、「ほらね、精神病の過去もあるし、やっぱり何か悪さをしようとしてるんだ」って扱われたのがもう見ていて苦しくて。
ホームレスの人達も、全員は語られていませんでしたが、ホームレスになったきっかけが失業であったりします。
中には軍人だった人達も多くいます。
アメリカの軍人制度は詳しくありませんが、国に仕えて働いても失業しホームレスになっちゃうんだ……と。
もちろん、失業しても他でやっていけるようなスキルを高めていなかった自己責任! という話なのかもしれません。
けれど、不景気とか会社都合とか本人の意思ではどうすることもできなかった状況もあるはずなのに。
それなのに、一度ホームレスになってしまったら「ホームレスだった人」というレッテルがついて周ってしまうんだなと。
ここで思い出したのが、アニメ『GREAT PRETENDER』。
このアニメの主人公は、就職した販売企業で真面目に働いていました。
が、なんとこの就職先の企業が実は詐欺をやっていたのです。(特保じゃない商品を特保と偽って販売)
当然会社は取締を受け、主人公も詐欺罪で捕まる。
詐欺って知らなかった! といくら訴えても駄目。刑務所行きです。
出所して、また就職活動をしますが、履歴書には「詐欺罪」の言葉がずっと残ってしまうんですよね。
どんなに本人が悪くなくても、たとえ服役を終えたとしても、レッテルはずっと残ってしまう。
とか言いつつ、私だってもし人を雇おうと思っていざ応募してきた人の履歴書に「詐欺罪」とか「横領罪」の言葉があれば、絶対躊躇します。
「でも服役終えたんでしょ? OK!」
とはたぶんならない。
怒りの葡萄のシーン
恐らくこの映画の見せ場となる『怒りの葡萄』の一節を読み上げるシーン。
私はこの作品を読んでいない、かつ、言葉の意味を瞬時に理解するのが苦手なので
読み上げられた一節で何を伝えようとしていたのかわかりませんでした。
『怒りの葡萄』を読んでみてから、言葉を噛み締めてみてからもう一度映画を見てみようと思いました。
逆転劇を期待するとちょっと物足りない
テーマは良かったのですが、お話としてはちょっと物足りないな~と感じてしまいました。
- いつも一緒だったホームレス仲間の一人が突然いなくなった
- 偉い人の息子がホームレスたちの中に混じっていた
- 目からビームが出ると信じているホームレスの人に何回か焦点があたる
- 市長候補者の一人がホームレスサイドに立ち救援物資を自腹(恐らく)で届け始める
- その様子を見た市民が「自分たちも」と次々救援物資を運び込み始める
などなど、「なんか大逆転に繋がりそうな伏線がいっぱい!」と感じていました。
どうラストに繋がっていくのかな~と楽しみにしていたのですが、なんとどれも繋がりませんでした。
特に、ちょっと悪者サイドとして描かれていたもう一人の市長候補者。
こいつにギャフンと言わせるエンドをめちゃくちゃ期待していたのに、結局は警察が突入して全員連行されるというエンド。
けれど、最後のあの全裸シーン!
たしかに予想外展開ではありました。
映画館でこんなに失笑が響き渡ったのって初めてかも。笑
奇跡とはなんだったのか?
邦題タイトルも入っている「奇跡」。
最後、大逆転が起きて立てこもったホームレスの人達みんなが助かる! という感動展開が起きるのかと思って見ていたので、結局全員捕まってしまった時は
「えーーー?」
となってしまいました。
途中、「どうせ今晩のことも忘れ去られる」みたいなセリフがあったので、
最後のあの行動で、忘れ去られない=みんなの記憶に残る=奇跡 ということだったのかなぁ。
まとめ
というわけで、奇跡の大逆転を期待しながら見てしまったため、お話としてはちょっと物足りない感を感じてしまう映画でした。
けれど、テーマは良かったなぁと。
色々考えてしまう映画でした。
コメント